今週のお題「575」
雨落ちて 古い記憶が 透きとおる
子どものころは、圧倒的に晴れの日が好きでした。
今は、晴れの日も雨の日も同じくらい好きになっています。
晴れの日は何かしたくなって心が騒ぎ、外に出ていきたくなります。
雨の日は、落ちてくる雨を眺めながら、たくさんのことを思い出します。
本当に、驚くほどたくさんのこと。
少年期
朝、目が覚めると、その日にどんな新しいことが見つかるかを考えてわくわくしていました。
雨が降っていると、そのわくわくは半分ほど減じられて、少しテンションを下げて出かけることになりますが、
学校に通学するだけでも、道の端々でいろいろなものが見つかります。
浮かれ出たミミズやカタツムリ、アマガエルなど、普段はひっそりと姿を隠しているものたちが表舞台に出てきます。
雨は好きではないけれど、いつもと違う世界を見させてくれました。
青年期
青年期はいつもやりたいことが前面にでてきているので、些細な環境の変化は大きな障壁にはなりません。
何かをしようという時に雨が降っていても、面倒くささは感じながらも受け入れてそのまま出かけていきます。
雨が降っていても止んでいても、あまり気にすることなく行動していました。
壮年期
雨が億劫になってきたのは、それなりに歳をとってきてからでした。
出かけなければならないことがあっても、雨が降っていると出鼻をくじかれたような気分になります。
「できれば今日はこの仕事をパスしたい…」などと考えても、そんなことができるわけはありません。
雨に濡れると身体が溶けてしまうような感覚を覚えながら、嫌々雨の中に出ていきます。
老年期
現役を外れると、雨が降っていると、待ち焦がれていたものに会えたような気分になります。
雨が降ると風景は少しゆがんで見え、音も吸い込まれて耳にやさしく響くようになります。
雨はいつも古い記憶を呼び覚まします。
不思議なことに、呼び覚まされる記憶は雨に絡むものばかりではなく、晴天の日に起きたことも鮮やかによみがえります。
ゆったりと小一時間、追憶の中に埋もれて、それに触発されてさまざまな行動を起こしたりして、雨の日は静かに過ぎていきます。