JP Road mirage - Sumomo Toxin / すもも毒素

現在波乱の真っ只中です。そんな中で実際にしたこと、感じたことを書いていきます。これが誰かの助けになればうれしいです。

サークルは参加して、噛めば噛むほどに味わいが出ます

今週のお題「わたし○○部でした」

 

いつの間にやら、11月の半ばになってしまいました。

もう冬の足音が聞こえてきています。

2022年がもう終わってしまいそうで、いろいろあせっているきょうこの頃です。

 

小学校では野球部、中学校では体操部、高校では空手同好会と、体育会系の部活動をしてきており、身体を動かすことが大好きでした。

そして、大学では漫画研究会に所属しました。

なぜか突然の文化部。実は空手部にも参加したのですが、空手に人生のすべてを賭けないといけないような気がしたので、こちらは1年生で退部してしまいました。

実は中学校のころから8ミリフィルムで映画を撮るようになり、そちらに夢中になったため、文化部に所属することになったのです。

 

映画を作りたいのに、なぜ漫画研究会かという問題もあります。

映画研究会も行ってみたのですが、何かとても難しい映画を作る人の集まりのような雰囲気で、私が作りたかった娯楽アクション映画を作るのは難しそうだったので、参加を躊躇してしまったのです。

漫画研究会は変わった人間も多く、話がいろいろな方面に飛びまくって楽しかったので定着してしまい、卒業するまで所属することになりました。

 

マンガを描いたり、批評をしあったり、ソフトボールをしたり、新歓をしたり、徹夜で飲んだり、映画を作ったり、アニメを作ったりして日々を過ごしていました。

他大学との交流会、もちろん女子大も含むような活動も積極的に行い、コミュニケーション能力の充実にも磨きをかけました。

とにかく毎日を楽しんでいたので、子どもたちにもそのあたりを宣伝して、大学進学をしてもらいました。

子どもたちもサークル活動などを思い切り楽しんだようで、それだけで子育ての成功感はとても高くなりました。

 

「やりたいことは何でもやる」というのが大学時代の私の信条でした。

できそうなことならできるだけ参加して、人のサポートもしました。

この時にやったことで、企画や準備、広報に人のサポート、結果のまとめ上げ方など経験することができ、自分のできる範囲がずいぶんと広がりました。

漫画展の代表担当をしたことがあるのですが、その時の経験はあとあとに生きています。

どんなものを展示するのか、どのような展示方法をとるのかという企画から、交流のあった3つの大学と検討して、展示できるスペースの選定、同じ都市にある20以上の大学のサークルへの参加の要請、調整、ローカルテレビやビラまきなどの広報と作品の搬入、設置に当日の運営、撤収とまとめ報告まで、一つのイベントをフルに体験でき、この時の経験とついた度胸はそのまま財産になっています。

もちろん、失敗もたくさんありましたが、むしろ失敗こそが経験値アップにつながります。

 

このように多くの経験を集めていたため、社会人になってから、さまざまな場面で物怖じすることなく飛び込んでいける場面も多く、ほかの人よりはるかに多い場面で「できるか?」と聞かれた時に、「はい、やってみます」と答えることができました。

これはさらに多くの経験値を得ることにつながります。

IT関連の仕事を主に担当していたのですが、

「セキュリティがわかるやつが一人いると」「やります」

「プロジェクト管理者が必要」「やります」

ファシリテーションがこれからは重要」「やります」

「利用者部門との窓口が」「やります」

上のタスクのどれについても、その時の会社の中で最上位レベルのスキルを身につけて、それぞれの仕事でマニュアルを作成し、次の人に渡すこともしてきました。

私にとって、会社で仕事をすることは、追い詰められてもうやめたいと思うこともしばしばありましたが、基本的に楽しいものでした。

 

体育会系でも、文科系でも、サークルは真剣に取り組めば取り組むほど楽しさが増します。

真剣に取り組むことで、より際(きわ)に近い経験を得ることができ、それは必ずどこかで有用なノウハウとして活用することができます。

いい加減に流すと、経験値は得られません。

自分が満足できるように生きることは、けっきょく一番自分のためになるのです。