SF警察というものがありまして、ある物語をSFとしてお話すると、玄関の前に面識のない人たちが現れて何かよからぬことをされたりするといううわさを聞いたことがあります。
それは怖いので嫌なのですが、私がこれまでに夢中になって、それからの人生に影響のあったSFと思われるものについてはお話ししたいと思います。
子どものころ、ウルトラQという番組がありました。
怪獣が出てきたり、出て来なくても怖い話があったりして、毎週心待ちにして見ていました。
あれがSFのようなものの始まりだったと思います。
それから少し経ったころに、アポロ11号が月に着陸しました。
月面着陸自体はSFの要素はかけらもない現実の出来事だったのですが、私はこれをSFのような感覚でとらえていました。
私や友人はノートに自分の考えたロケットや月面で活動するためのロボットや宇宙服を書き、見せ合ったりしていました。
この感覚はガーンズバックが提唱したSFを生み出す源泉と同じところから湧出していたと思います。
現実と、そこから少し進んだ世界、ずっと進んだ世界は違うものなのですが、そちらに向き合い続けることで地続きになる可能性があります。
荒唐無稽すぎるものはSFにはならないかもしれません。
実現するかもしれないと思わせてくれるものは、正当なSFになるかもしれません。
そのあたりの感覚は、人によって違うのでしょう。
私が初めてSFと誰からも太鼓判を押される作品と出会ったのは小学校の図書館でした。
小学校1年生の時、私は図書館の本をすべて読みつくそうという野望を持っていました。
そこで棚の端から本を手に取って読み始めたのですが、そこで出会ったのがアーサー・C・クラークの「海底パトロール」というお話でした。
SFこども図書館というシリーズの一冊で、クラークの「海底牧場」という作品を子ども向けにジュブナイル化したものです。
もうすでに実現していてもおかしくないような道具立てや人物描写で、読むほどに話に引き込まれていき、対立ばかりしていた同僚が命を落としてから、あれだけ嫌っていた同僚のために、その仕事を引き継いだキャラクターには、小学1年生ながら胸が熱くなりました。
そのころはまだ、作者で追いかけるなどという考え方もなかったので、SFのようなものがあると目を通してみるようになりました。
いいものもあれば悪いものもありましたが、このジャンルを選択肢に入れられるようになったのは概ねプラスでした。
それから何千冊も本を読んできましたが、そのなかにはSFも純文学もミステリもドキュメンタリーもありました。
どのジャンルでも好きな作品はたくさんあります。
活字の中に浸りながら今感じられるのは、本のジャンルを区別する必要はなかったなあということです。
自分にとっておもしろいかそうでないかだけが重要で、ジャンルが何であるかは私にとっては少しも重要ではないのです。
まあ、それでもSFをあえて定義するとすれば、「少し不思議なお話」あるいは「すごく不思議なお話」でいかがでしょうか。
小学校の図書館の読破ですか?
残念ながら、そう決心した1年生の夏休みに転校することになってしまい、読破することはできませんでした。
その時の司書の先生が、ほとんど毎日図書室に入り浸っていた私に好意を持ってくれて、お別れに行ったときに、個人的に本を一冊プレゼントしてくれました。
人に好意を持たれた記憶は、いつまでも心の中で暖かく輝いてくれます。
私がその後も本を読み続けることになったのには、その記憶もあずかってくれているのかもしれません。