JP Road mirage - Sumomo Toxin / すもも毒素

現在波乱の真っ只中です。そんな中で実際にしたこと、感じたことを書いていきます。これが誰かの助けになればうれしいです。

父は怖かったけど、帰ってくるとうれしかった

雨っぽい月曜日ですが、関東は今週ずっとこんな感じのようです。

 

子どものころ、父親の仕事の関係で、日本各地を転々としていました。

一つの地域には長くて3年くらいで、幼稚園から小学生くらいの子どもには過酷な環境です。その過程で、私は特定の地方の訛りのない発音としゃべり方と、無国籍な性格と、すでに確立されたグループに潜り込む図太いコミュニケーション能力を身につけていきました。

母親は20代から30代のころで、行ったこともない場所に行って住むのは、けっこうしんどかったようです。

 

いちばん母がきつかったのは、私が幼稚園から小学校低学年のころに行った岐阜だったといいます。

父は仕事で一週間に一回しか住んでいる家に帰ってこれず、その間は母が一人で私と弟を見ていました。父が仕事で家にいられないし、それが必要だというのは小さいなりにわかっていました。だから哀しいとか寂しいとか言っても仕方がないと割り切っていました。そのころは、私より母がきつかったんだろうと、今になっては思えます。

 

父が帰ってくる日は、家族みんなでバス停に行って待っていました。大雪の降っている中で、傘をさして待っていた記憶もあります。

ジブリの「トトロ」という映画の中で、さつきとメイが父親が帰ってくるのをバス停で待っているシーンがありましたが、ほぼあの通りです。

 

父は昔の人間らしく、あまり喋る人ではありませんでした。

それでも帰ってくると一緒に散歩に行ったり、雪が降れば大きな怪獣の雪だるまを作ってくれたりしてくれました。子どものことは好きだったのでしょう。

それでも怒られると、父はとても怖かったです。

母はいろいろ心配してしょっちゅう怒っていましたが、あまりに多すぎてだんだん慣れてしまいました。

父はそれほど怒らなかったのですが、怒られるときは身動きもできず、首をすくめているしかありませんでた。

それほど怖い思いをしても、父が帰ってくる日はうれしくて、喜んでバス停に向かっていた気がします。

 

子どもは子どもなりに、親は親なりにいろいろ考えて、日々の暮らしに馴染んでいきます。

家族と暮らしていた中で確かに言えるのは、私の親はちゃんと私に愛情と尊敬をもって接してくれていたということです。喋らなくても、怒っても、その気持ちはちゃんと伝わりました。

 

 

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by オリックスグループ