自分が捨てられないものってあったかな…と考えてみたのですが、物としてはありませんでした。
では奥さんとか子どもたちとか定番の答えも考えてみたのですが、これは捨てられませんね。むしろ私にとって、彼らに捨てられないというあたりが最重要であり、日々戦々恐々としています。
私が捨てられないもの、捨てたら私としての形態を保てないものは、私の好奇心です。
子どものころ
覚えている限り小さいころから、いつも何かを見て、それが何なのか、なぜそこにあるのか、それに対して何をすればいいのかを考えていました。
ハチが飛んでくればそれを見て、
泳いでいるサカナがあれば手を伸ばし、
燃える火は目をすがめて眺め、
降る雨が跳ねて散るさまを飽かずに追い、
雪がかすかな音をさせながら積もるのを聴いていました。
自分の身の回りにはいつも驚きがあり、発見があり、さらなる秘密を示してくれました。
私にとっては毎日が新しく、知るべきものを追い続ける日々でした。
自分で自分がどこに行くかを決めるようになり
親の意思より自分の意思を優先するようになってからも、いつも新しいものを捜すことは変わりませんでした。
学校でも家でも、守った方がいいことを守った上で自分の意思を通すことは難しくなく、私は自分の見たいものを見て、したいことをして、自分の知りたいことを捜していました。
周りの要求や意向はできるだけ満たして、その上で自分のしたいことをしていたので、行動を制限されることはありませんでした。
高校では映画を作り、大学では映画を作り、いろいろなことに手を出して毎日が楽しくて仕方がありませんでした。
恋愛もして、振られて、告白されて、一人ではできないこともたくさん満たして、充実しきった毎日を過ごしました。
会社生活にて
会社に入って仕事をするようになっても、今までに経験したことのないことが山ほどありました。
仕事で覚えること、
合わない人とうまくやっていく方法、
上司の要求だけでなく自分が満足できる形で仕事をすること、
困っている人を助けるためにできることを考えること、
仕事の方向性をより効率よく変えていくこと、
知りたいことは山ほどあり、解決するそばから新しいことが次から次へと出てきて、飽きることがありませんでした。
それはそれで楽しかったのですが、決められた仕事をやらなければならないという職責を与えられた時に、興味が沸かなくなってしまいました。
会社としては、多分楽をしてもいいよということだったのでしょうが、私にとっては会社にいる必要がなくなることだったので、辞めてしまいました。
フリーになって
退職関連のもろもろの手続きや、失業手当の申請なども、今まで知らないことばかりでした。
フリーになって始めたお仕事や、確定申告なども調べていくと、すべて在宅でできてしまいます。
以前に株の売却で確定申告をした時は、税務署に行って半日がかりだったりしたので、あまりの簡単さに驚いてしまいました。今回は、資料集め以外は30分程度しかかかっていません。
ミニマリズムやソーラー宮殿についても今いろいろと進めており、やることは次から次へとあふれてきます。
リタイヤしてから暇になるどころか、やりたいことを一日中やっていられる状況です。
コロナ騒ぎでいろいろ失速していますが、そろそろまた本格的に進めるつもりです。
コロナ騒ぎでも、いろいろと学ぶことはありましたね。
未練がなくなるとき
うちの父が亡くなる少し前に、「もうラジオを聴いてもテレビを見ても面白くない」と言ったのが、私の心臓に刺さりました。
たぶんそうなのでしょう。
この世に対する好奇心がなくなったら、私ももうこの世にいるのを捨てて、次のフェーズに進むしかないのでしょう。
まだまだ知りたいことは山ほどあるので、そんな日が来るのは信じられませんが、その時には自分でもこのことを知っていなければなりません。
その時が来たら、私は何を知ることになるのかが楽しみです。