今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
なぜだかわからないけれど、ミニマリズムを実践しようとする人は、何のためにミニマリズムを取り入れようとしているのか理解できていない人が多いように思います。
ミニマリストの方がミニマリズムを実践するのをサポートするYouTube動画では、不要なものを捨てていく場面がメインになります。
「これは必要ですか?」と訊かれて、
「いや、いりませんね」と答えて捨てていくのを見ていると、最終的に何も残らないケースが多いのが気になります。
不要なものを捨てていって何も残らない人は、それまでの人生でやりたいことが何一つ見つけられなかったということになります。
ミニマリズムの抱える問題
ミニマリズムは、必要な機能のみに絞り込むという考え方です。
ミニマリストという場合、その人は人生一点突破にかけたいと考えている人です。
本来そうなのですが、生活のミニマリズムという場合、整理法のようなスタンスの方法論が多くなります。
整理法は誰でもできることなので、信者を作り易いのです。
整理法に基づいて物を捨てて、これからその人が生活する場に寝袋くらいしか残らない光景を見ていると、この人は何もない人なんだなと思ってしまいます。
定年退職して会社を離れると、したいことが何一つないことに気づく人が多いようです。
何か熱中できるものがないと、生きている支えになるものがありません。
それに定年になる前に気づけるという意味では、ミニマリズムにもよい所はあるのかもしれません。
ミニマリズムのメリット
このミニマリズムを役立つようにするためには、その特性をうまく使うことです。
多趣味な人間、あるいはいろいろなことに手を出してしまう人間は、一つのことに熱中できず、けっきょくやりたいことがないまま人生の終わりを迎える場合も多いです。
そのような時に、ミニマリズムを自分に対する武器として使うことができます。
一つを残して、他の趣味に関連するものをすべて手放してしまいましょう。
残されたものに熱中するしかなくなります。
そもそも、自分のやりたいことがわかっている人は、ミニマリズムなどに頼らなくてもやりたいことを最優先して日々を過ごしています。
変な方法論に頼らなければならない時点で、楽しい人生は送れていないでしょう。
もしその方法論を使うなら、なるべく自分を追い詰める方向で使うと、もっとも効果が望めます。
終活でミニマリズムを勧めてはいけない
ミニマリズムに関して私がもっとも懸念している点は、老人が終活に使おうとするケースが多いことです。
「生きているうちに生前整理」とか、
「子どもに迷惑をかけたくない」とかいう人がいますが、くそくらえです。
最期に親にかけられる迷惑くらい受け入れます。子どもは親に迷惑をかけまくってきているのですから。
親が自分のことを気にして、趣味だったものも想い出もすべて捨て去って、何もない部屋で死ぬのを待っていられる方がはるかに不快だし、そんな生活を送ってほしくありません。
うまくもない絵を描いたり、下手な俳句をひねったり、コーラスをしたりしてもらっている方がはるかにうれしいです。
わけのわからないもので満ちている部屋で、文句を言いながら親のことを思い出させてほしいものです。