アツギのPR絵に批判的な方の中にはあなたのように若い方もいらしたというのは、事実として心に留めておきますが、「タイツフェチを前面に押し出した」というのは、あなたの主観もしくはフェチ的妄想であり、絵師さんとしては商品をリアルに描いて誠実に仕事をしただけでしょう。 https://t.co/u8Oe76LEJ9
— 森奈津子 (@MORI_Natsuko) 2020年11月5日
アツギのタイツの広告が世間を騒がしているようです。
透け感のあるタイツがリアルに描かれているので、女性を性的に蔑視しているという主張が語られています。
なかなかにばかばかしい話です。
何がばかばかしいかというと、実際に透け感のあるタイツをはいている女性は数万人いるわけで、その女性たちが性的な意図をもってそのタイツを選んでいるわけではないからです。
女性がおしゃれをするのが、すべて男性のためだと考える方たちが今回の騒ぎを起こしているわけですが、実際の女性たちは、主に自分のために透け感のあるタイツを選んで、自分の足を美しく見せようとしているのです。
ミニスカートもボディコンも、透け感のあるタイツも、本来は女性が男性から縛られることなく、自分の権利を主張するための服でした。
ミニスカートは、その時代の良識のある方々に眉をひそめられながら、女性が自分たちの権利を主張するために女性たちに選ばれ、男性の視線にひるむことなく立つという意思の表れでした。
ボディコンも、女性の社会進出が普通になり始めた時期に、男性と対等以上の立場を示すために着た戦闘服です。
おしゃれは異性の気持ちをひくために行うためのものではありません。
女性が自分に持つ自信を示すために行うものです。
広告に使われたイラストがフェティシズムを感じさせるという主張がありますが、フェティシズムというのはおもしろいもので、それを感じるのはそのフェティシズムを持っている人間だけなのです。
以前に、オリンピックの広報フィルムを見て、「セーラー服は性的な記号だ」から、世界に対して恥ずかしいという見当外れのコメントを出して笑われた人がいました。
そう思った人にとっては、セーラー服は性的な記号なのですが、それ以外の人にとってセーラー服に性的な意味はありません。
もしそうであれば、日本中の中学校や高校でセーラー服を制服に選ぶはずがなく、父兄からは文句が出て、生徒たちは着るのを拒むでしょう。
今回の件もそうですが、普通の人が普通にしている格好に文句をつける方たちは、その格好に特殊な嗜好を感じているのです。
フェティシズムは、その性癖を持っている人が特別に強く感じるのです。
そうでない人にとっては、「ああ、きれいだな。わたしも履いてみよう」と感じるだけで、そのような意図で今回の広告は企画されているので。
もう一つの考え方として、きれいな装いをしている人を劣等感から叩きたい方々がいて、その方たちも今回のバッシングの尻馬に乗って騒いでいるようです。
そういう方たちは、自分の劣等感を決して認めることはありません。
認めてしまうと、自分の愚かさが見えてしまうからです。
「キャリー」という、歪んだ狂信的な価値観を持った母親に抑圧された少女が、追い詰められたことで異常な能力を開放してしまい、大惨事を引き起こす映画があります。
キャリーでは、結婚に失敗して夫に捨てられた母親が、異性は忌むべきものとして、娘を自分の思い通りにしようとした虐待が異変の先触れになります。
子どもは親を選べないので、親が自分の価値観を押し付けてくるタイプの場合は早々に距離を置いて、できるだけ早く離れないとお互いに不幸になります。
離れることで客観的に関係を見直すこともできるので、うまくいっていてもいなくても、親との間に距離を作ってみると、自分の生きたい方向が見えてきたりするので、おすすめです。