私は本が捨てられない呪いにかかっています。
うちには現在、1万冊以上の本があります。
いつまでもこれを抱えているわけにもいかないので、これまでとは違った方法論でこの呪いを解かなければなりません。
呪いの解き方は決まっています。
呪いはこれまでの暮らしの中で少しずつ縒りあげられてきています。
縒りあげられた因果を一つずつほどいていけばよいのです。
残さなくてもいい本
積み重ねられた因果は、手に入れる時の気持ち、読んだ時の満足感、わからなかった時にいつかわかるかもしれないと思ったことなど、さまざまです。
本には2種類あります。
一度読むだけで、その本の価値をすべて得られる本と、
読み返すほどにいろいろな価値を与えてくれる本です。
一度読むだけでその本の持つ影響力を得られる本は、読んだ時点で自分の中に新しい視点や考え方を与えてくれます。
そのような本は、もう一度読みたいと思う気持ちが湧いてきません。
時間も空間も有限なのだから、このような本から手放していくことで、呪いを解いていくことができます。
こんな考え方を持って、がんばって仕分けをして、ダンボール10個分以上ブックオフの引き取りサービスで引き取ってもらいました。引き取り対象外の本は、資源ゴミとして出しています。
これで千冊くらい処分したわけですが、減った気がしません。これから呪いの解除を加速していく必要があるでしょう。
売った本のお金は1,500円くらいしかもらえませんでしたが、古い本も多いので、お金はもともと期待していません。
ダンボールに詰めるだけで引き取ってもらえるのは、とてもありがたいことです。
残す本も移ろっていく
呪いをほどいていくうちに、因果もまた影響を受けて強さが変わっていきます。
その強さの変化に応じて、残す本の基準もまた移ろっていきます。
残す本を選んでいくことで、これから先の人生の中で、ほんとうに残しておきたい考え方を研ぎあげていくことができます。
時々、奥さんとお互いの 「好きな本ベスト30」や、「好きな映画ベスト10」、「もう一度行きたい旅行先ベスト10」などを挙げあうことがあります。
これはどんどん変わっていきます。
こういうことをすることで、自分の欲しいもの、大事にしたいものがあぶり出されてきます。
今時点での自分のやりたいこと、最後まで持っていきたいものを知って、それ以外のことに使う時間を減らしていかなければなりません。
そのためにも、不要な本を捨てていくことは必要です。
つまらない本ほど再入手しにくい
捨てていく時に注意しなければならないことが一つだけあります。
学研や中1時代のような学習誌についていたおまけの本や、宗教団体が配っていた小冊子のような、本として認めてよいかどうかわからないようなつまらない本は、再入手がほぼ不可能だという点です。
本や雑誌本体なら国立国会図書館などで保管している場合もありますが、付録の本は見つからないかもしれません。
まして宗教団体の一支部が40年前に配っていた小冊子は手に入れることは不可能でしょう。
その中の内容について、ほかの人に共有したいと思ったことがあるのですが、早々に捨ててしまっていたので、二度と見ることができません。
見ることができなくても大きな問題はないのですが、どうでもいいことほどいつまでも頭の中に残っていて、心のどこかでチクチクしていたりするのです。
今ならデジタル化して残してもいいのかもしれません。
本の山の中、取り上げたり戻したり
私は本の山の中で、本を取り上げてパラパラ見たり、それを戻したり、廃棄用の入れ物に入れたりします。
時間はかかるし、いろいろと考えてしまうこともあります。
それでも、これが無駄なこととは感じません。
これは私がこれまでに得たさまざまなものの中から、誰かに伝えるべきエキスを掬い上げるために必要なことだと思えるのです。