今週のお題「捨てたい物」
モノを得て、溜め込むことがステータスだった時代は去り、捨てることが評価される時代になりました。
ゴミ屋敷や先祖代々住んでいた古民家の清掃作業動画などを見ていると、溜め込むことがステータスだったこと自体が幻影だったような気がします。
間違いなく使えない道具や、誰のためにとってあるのかわからないたくさんのモノが次から次へと出てきて、ただただ捨てられていきます。
中には誰かが本当に欲しかったもの、必要だったものがあるかもしれないのに。
溜め込んでしまうことは、不要な有象無象の中に、大切なものを埋没させてしまうことです。
大切なものが見えなくなれば、人生はどんどんハードモードに移行していきます。
簡単にしあわせになれたはずなのに。
と、いうわけで、いらないもの、邪魔なもの、いつか要るかもしれないもの、高かったので捨てるに忍びないものを、少しでも早く捨てていきましょう。
もひとつ、捨てるのが大変なものを贖ってはいけません。
手に入れるときに、手放す時をイメージして、捨てるのがイメージできないもの、捨て方がわからないものには手を出すものではありません。
コンビニ経営、ワンルームマンション投資など、悪質なものに引っかかると、それを手放すために得た利益の数十倍のコストが出ていったりします。
ものを手に入れる決断は、手放すことまで見越した上で行わなければなりません。
ここで我が家のダメな実例を見てみましょう。
2011年に壊れてから、10年以上庭に置いていたルーフボックスです。
私の機能停止品改修能力を以ってすれば、屋根のある駐車場で勢いよくバックして破壊してしまったルーフボックスを直すことなど容易なこと。
金属フレームとプラ板を手に入れて、直し始めたのが2011年の秋のこと。
冬は寒くて、夏は暑くて、虫も出るし、忙しいしと時間は過ぎていき、その間ルーフボックスはずっと庭の一等地に置かれていました。
庭に出るにも邪魔で、あらゆる庭作業の邪魔になっていたこのルーフボックスを、ようやく昨年、有料で引き取ってもらいました。
捨てる前は費用が気になってなかなか踏ん切りがつけられなかったんですが、なくなったとたんにものすごい解放感におそわれました。
この場所が空いて、何でもできるんです。
夢のような気分でした。
「いつかできる」は「もうできない」。
今後はこれを座右の銘にして、捨て活に励もうと思いました。