今週のお題「わたしの実家」
年末年始に限らず、私はなるべく実家に帰るようにしています。
コロナの関係で今は思うに任せませんが、自分の実家も、配偶者の実家も等しく訪れようとしています。
実家が居心地がよいとか、親兄弟ととても仲がいいというわけではありません。
むしろ、親とは価値観が相容れない部分が大きく、かなりネコをかぶらなければいけないので窮屈です。
私はいつも自分がいる場所をもっとも気持ちよく過ごせるようにチューニングしているので、どうしてもそれ以外の場所は自分の住処より快適度が落ちてしまうのです。
それでは、なぜ実家に行くのか。
それはある意味、冷酷な計算をしているからです。
奥さんの実家はかなり遠く、10時間くらいかかるので、年に一回、夏季にしかいけません。これは仕方ないと納得してもらっています。
私の実家は3時間で行けるので、お正月前後に行き、それ以外に2,3ヶ月に一回くらい訪れます。
母は昨年で88歳になりました。
私は95歳まで生きると見積もっていますが、こればかりは誰にもわかりません。
父は数年前に88歳で亡くなりました。
年一回会うとすれば、母とはあと7回しか会えません。
たった7回です。
なので、正月だけでなく、機会をとらえて訪れるようにしているのです。
あまり長居をしなければ、お互いに不愉快になることもありません。
快い関係を維持できるように、細心の注意を払っています。
残りの時間を過ごすときに、子どもに愛されているという気持ちでいてもらいたいために、私はかなり神経を使っています。
私にとって、親というのはそれくらい大事にしたい存在なのです。
奥さんのご両親はまだ健在なので、せめて年一回以上は訪れたいのですが、コロナの関係でもう2年訪問できていません。
私としては、けっこう焦っているのですが、これもどうすることもできません。
コロナが収束するように祈っていたのですが、第六波が来てしまったようで、なかなかままなりません。
それでも機会をとらえて、できるだけ会えるようにしたいと思っています。
人と会うときに、死を想うということ。
これはかなり重く、つらいものがあります。
でも、死を想うことで、楽しく過ごす時間を望んで、それを実現することができるのなら、私はこれを否定したくないのです。
私たちが帰るときの親の困ったような、切なげな顔を見るのはつらいのですが、それでも顔を見せることが大事だと信じて、私は親のもとを訪れ続けます。