つげ義春さんのエッセイなどでお名前は知っていたのですが、今回初めて読むことになった深沢七郎さんの「みちのくの人形たち」をご紹介します。
深沢七郎さんの作品では、映画にもなった「楢山節考」が知られていると思いますが、こちらも私は未読です。
印象は民俗学系のお話だと思っていたのですが、深沢さんのお話は単なる「学」の領域にとどまらず、民俗風習の背後に潜むもっとずっと深くて暗いところの言葉を聴き取っていて、意味が分かってしまうと戦慄してしまいます。
みちのくの人形たち
誰もが知っているあの東北の人形が、なぜあの形になっているのか。
近代社会では罪とされることが、当然で必然だった時代からつながる逆さ屏風が、今生きている人たちにも重なってきて、積み重ねられた時間を幻視します。
明るい売り場に並べられているあの人形たちが少し怖いと感じて、買った人形が赤べこや三春駒ばかりだった私の記憶とつながります。
秘戯
これも人形のお話です。博多人形の裏がえしという秘戯に関わるお話です。
ほんとうにあることなのかどうかはわかりませんが、見たらあとは毀(こわ)すためだけに作り続ける人形は、それを作る人たちの思いを吐き出すためのものなのだということが印象的です。
アラビア狂想曲
ある宗教の始まりが、それに関係なかった人々の生活にどのようにかかわっていたかを感じさせてくれるお話です。
人々は何か大きな出来事があっても、何も変わらないまま起きていくのでしょう。
をんな曼陀羅
一つの抽象画が、その絵の近くに来た女たちに関わってその本性や感情をさらけ出します。
抽象画自身もその表情を変えていきますが、それは作者がそう感じているだけかもしれません。
「破れ草紙」に拠るレポート
尼寺に行った畳職人の妻が語った畳職人の犯罪が、不完全な資料から読み取られていきます。
仲間の畳職人たちが密かに誇りに思う畳職人の犯罪は、あまりに鮮やかで、とつとつとした語り口の中に秘められています。
和人のユーカラ
ほんとうにいたのかどうかすら定かでないような、山の中で偶然行き会った大男のアイヌ人とのたった一度の交流で、心の中に重く残ってしまった思いをずっと抱えてきた男がもう一度会って話をしたいと探し回る話です。
夢の中で行き会うような話で、この本の中で私は一番好きな話です。
いろひめの水
不意に故郷に帰りたくなった男が、近所の人の動向などを聞きつつ一人で帰郷するのですが、いろいろなところで耳にした一つ一つの話が積み重なって、家に戻ってきたときに自分の運命を知ることになります。
鮭が生まれた川を遡上して、そこで命を落とすように、人が生きていく時に遡上のようなタイミングが出てくるのかもしれません。
読み終えて
リアルな経験と夢の中のような経験が混ざり合って、自分のいるところがとても不安定な気分になってきます。
こんな体験をさせてくれる本は久しぶりな気がします。
少し間をおいて、深沢さんのほかの本も読んでみようと思います。