今週のお題「好きなおやつ」
おやつというのは、昔のあたたかい記憶と連動しています。
駄菓子屋で買ったラムネや甘納豆などの菓子や、お店で買ってもらうチョコレートやキャラメル、卵ボーロなどの菓子類も好きですが、どうしても思い出されるのは子どものころに食べた母の作ってくれたお菓子です。
母は新し物好きだったので、当時は珍しかったような洋菓子もたくさん作ってくれました。
人に訊いたりいろいろ調べたりして、新しいものに挑戦していました。
私のおやつの記憶は、台所でいろいろ作っている母の後ろで、テーブルに座って宿題をしたり、本を読んだりしながら待っていた時の記憶です。
パウンドケーキ
母の作ってくれたお菓子の中で、いちばん好きなのがこれです。
そんなにしょっちゅう作ってはくれなかったのですが、いいクルミが手に入ったりすると、料理に使った残りのクルミを入れたパウンドケーキを焼いてくれました。
けっこうしっかりした、洋酒で風味づけされた生地はしっとりしていて、日が経つほど味が沁み込んでいくのですが、残念ながら2日以上残ることはありませんでした。
このパウンドケーキができると、1cmほどに切ってもらって自室に行き、これを食べる時に読むと決めている宮沢賢治の童話集を読みながら食べるのは至福のひと時でした。
外側の生地がサクサクで、中はみっちりしっとりしたスポンジ。干しブドウとクルミがいろんな食感を添えて、いや、本当に至福でした。
焼きプリン
母の作ってくれたプリンは、卵メインで作るしっかりした焼きプリンでした。
カラメルは入れずに、型に流し込んだ後、オーブンで焼いて作るのですが、指でつまめるほどしっかりしていました。
弾力があって、スプーンで切るのに手間取るほどでしたが、口に入れると、くどすぎない甘さで卵自身のおいしさが感じられました。
バニラエッセンスは必須で、今でもバニラエッセンスの香りをかぐとあのプリンを思い出します。
ドーナッツ
ドーナッツは作るときはかなり大量に作りました。
ドーナッツの生地を広げられるだけ伸ばして、ドーナッツ型で抜いていき、抜くそばから油に放り込んでいきます。
放り込みながら揚がったものを菜ばしで取って、まだ油がパチパチいっている熱いうちに砂糖を振りかけます。
大皿に山盛りにすると、金色のタワーが出来上がります。
私が一番好きだったのは、ドーナッツ型で抜いた後に残る余分な部分です。いろいろな形に尖った形のものをドーナッツと一緒に揚げると、少し固めのポリポリ食べられる砂糖味のクッキーのようなものが出来上がります。
中がふかふかのドーナッツ本体より、まんなかのボール型のドーナッツ。それよりさらに砂糖が半ばカラメル化してくっついている謎形状のクッキーがおいしかった記憶があります。
焼きリンゴ
焼きリンゴも冬になると母が作ってくれる定番おやつでした。
リンゴの芯を抜いて中にバターと砂糖とシナモンを入れ、アルミホイルに包んで焼くと、真ん中はしびれるほど甘く、外側の酸っぱいリンゴと混ざりあってたまらなく、残さずスプーンで掘りつくして食べました。
残念なことに弟は焼きリンゴのシナモンの香りが大きらいで、母が焼きリンゴを焼き始めると家から100メートル以上離れて、時々恨めしそうにこっちを見てくるので、いつも作ってもらうことはできませんでした。
イナゴの佃煮
もう一つ、おやつとして食べていたのがイナゴの佃煮です。
いろいろとビジュアル的にアウトな部分はある気もしますが、ちゃんとした佃煮になったイナゴは、エビの佃煮と同じような味になります。
少し甘辛いイナゴの佃煮をポリポリと食べていました。
農薬を使用する田んぼが増えてからは、これを家で作ることはなくなってしまいました。
スイカやトウモロコシ
夏になると、毎日スイカやトウモロコシを食べていました。
おやつというより半分主食だったような気がします。
というわけで、私の血管にはスイカの果汁が半分流れているのです。
トウモロコシは流れていません。
なつかしいおやつは瞬時に子ども時代に戻してくれる
子どものころに食べていたおやつは、深く記憶に刻み込まれています。
何年経っても何十年経っても、それを見て、香りをかいで、食べた時にその時の記憶がよみがえります。
これは誰とも共有できるものではなく、私だけの記憶と共にあるものです。
このような記憶があるのは、ほんとうにうれしく、楽しいです。