ナチュラルに子供の頃から文字があると読んでしまう人はお菓子のパッケージの成分表から細かい説明文まで全部読んでしまうから「文字は勉強の為に頑張って読むもの」みたいな感覚の人とは脳内の情報量が最初から全く違ってたりするんで、勉強でしか文字読まない人とは見えてる世界自体違うのよね。
— ねえね なつはあつい (@Doragonsyoten) 2020年5月19日
これは本当にその通りです。
「読書は勉強になる」とよく言われますが、これは実は間違いです。
勉強になると思ってする読書は、その人にとってほとんど役に立ちません。
順番が逆なのです。
勉強のために読書をしよう ←えらい
↓
興味はないし面倒くさいけど、勉強になるから読もう ←義務になっています
↓
まだ終わらない... でも最後まで読もう ←すでに苦痛でしかありません
↓
読み終わった! これで勉強になった!
残念ですが、無理して読んだ本の内容は、驚くほど速やかに脳みその中から失われていきます。
一度読んで役に立つことが覚えられるなら、数学の公式や物理法則、歴史の年号を覚えようと悪戦苦闘するなんてことは起こりませんよね。
そうすると、読書は知識を得る役に立たないのか?
これも間違いです。読書の習慣を持っている人は、驚くほど多くの知識を蓄えていることが多いのです。
友だちがおもしろいって言ってた本を借りてきた。読んでみよう。
↓
ちょっと怖いな、この話。でも主人公の友だちは大丈夫なんだろうか ←興味あり
↓
え? あの人がそんなことを? じゃあこの人が悪者なの? ←没入しています
↓
違った... この人は味方だ。じゃあいったい誰が? ←先を読み進めたくてたまりません。何とか本を読める時間をひねり出して読み続けます
↓
ああ、そうだったのか… おもしろかった。あそこであの人が言ってたことがヒントだったのか… あそこをちょっと読み返してみよう ←はまってます
↓
じゃあ、もっと前にわかってたのか? もっと前も読み返して... ←忘我の境地へ
こういう読書体験をすると、文字を追うことで得られる情報の価値を知ることができます。勉強のために本を読めと言われなくても、自分からいろいろな本を読むようになります。
本を読めば読むほど広がっていく世界を知るほどに、さらに多くの本を読みたくなります。
学校に入る前に、学校の教科書が配られますが、読書の楽しみを知っている子どもは、手に入れた教科書を貪るように読み耽ります。
あの新品の教科書の匂いがなつかしい...
高校の教科書は中学校までと違って分厚いので、ワクワクも相当なものでした。
読書好きな人は、そうでない人と違う点がいくつかあります:
- 文字を追うのが苦にならない
- 文字の中に無限の世界が広がっているのを知っている
- 文字を追えば、時代や空間が違う人の考えていることや感情を知ることができる
- 没入すること、高度に集中することができるようになる
- 物事を常に複数の視点で見ることができ、小さな世界にこだわることがなくなる
このような能力を身につけることができると、物事の読解力や解釈力が飛躍的に上がり、また一つの視点にとらわれることがなくなります。
読書力を身につけると、暇な時間がなくなります。
レストランで食事が運ばれてくるのを待つ間も、テーブルに置いてある香辛料の瓶のラベルを読み、
(コーンスターチって何だろう? いろんなものに入ってるけど)
(原産地はこの国なのか。それがあの国経由で日本に入ってくるのか)
(旨さ10倍って、ナニ比で10倍なんだろう)
などとさまざまなモノや世界に思いを馳せることになります。
こういう疑問や知識は蓄積され、ほかのものから得た知識と交じり合い、融合して新たな知見につながり、世界の大きな姿を見ることができます。
読書は、それ自体が目的なのではなく、文字を追うことを知り、その魅力に目覚めて知識を吸収することが容易になることが、その一番の効用です。
文字から知識を得られる頭になると、そうでない人に比べて視野は360度まで広がり、同じ人生を歩んでも100倍以上の楽しみをそこに見つけることができるようになります。
せっかく生きるんだから、できるだけ楽しんでいきましょう。