今年は思いもしないコロナウィルス騒動で、卒業や入学が延び延びになってしまっています。
日本の学校や会社は、4月が始まりのケースが多いので、3月はそれまでの暮らしから、がらりと変わった新しい世界に切り替わる前の、とても不安定な、ふわふわした時間を感じさせてくれます。
強制的なシチュエーション設定
私は親の仕事の都合で、小学校の間に何回も転校することになりました。
小学生のころに転校するというのは、けっこうハードな経験です。
せっかく積み上げた友人関係がすべて吹っ飛び、言葉さえ通じない新しい世界に放り込まれるのです。
しんどかった記憶もかすかにあるのですが、私にとっては拒否することのできない転換だったので、子どもなりにかなり苦労しながら新しい所に居場所を作ってきました。
宮沢賢治の「風の又三郎」というお話をご存知の方は多いと思いますが、初めて読んだときに、ほぼ過去の自分と重なっていることに驚きました。
私は又三郎の側なのですが、来られた側はこんなイメージで見ていたのかと思うと、いろいろ腑に落ちるところがありました。
言葉から
基本的にノマド的な生活をしてきたので、私にはどこの風土も沁みついていないようです。
生まれは新潟で、そこから岐阜へ移り、神奈川に移って、また新潟へ。そこから宮城へ行き、今は埼玉にいます。
いろいろなところにいる間は、そこの方言を覚えたりしていたのですが、それをすぐに壊さなければならないことを知っていたので、覚えた言葉は新しい場所にしばらくいるとすっかり抜け落ちるようになりました。
訛りがまったくなく、かえって無国籍に聞こえることばを使っているそうです。東でも西でも同じようなことを言われました。英語がネィティブの国では、訛りがなさ過ぎてかえって外国人だとわかってしまうという表現もありましたから、そういうものなのかもしれません。
ふるさとが見つからない
私にとっては、本当に故郷といえるところがないのです。
以前はかつて住んでいたところを訪れたりもしていたのですが、どこに行っても訪問者としてしか存在できないのです。
懐かしい場所も、学校も、内側に入り込むことができず、どこかよそよそしい。
何度か訪れるうちに、本当にあったことも疑わしくなってきます。
私がいるべき場所に向かって、進んでいくその旅路こそが私のふるさとなのかもしれません。