お題「#おうち時間」
外に遊びに出られなくなり、おうち時間が長くなると、旅行した時のことを思い出したり、これから行きたい場所などについて妄想したりすることが多くなります。
今年の夏は海に行きたいのですが、難しいかな…
山の近くばかりで暮らしてきたので、海に対するあこがれがあります。
子どもが生まれてから、夏になると海水浴に行っていました。
海の近くで宿泊することも多く、灯りもない夜の海岸沿いを歩いたり、季節外れに行って人のいない浜辺を歩いたり、いろいろな海の表情を見てきました。
大学から自転車で350キロ走って実家に帰った時に、堤防に座って風になぶられながら見た海はいまだに記憶に焼き付いていますが、今はもう立入禁止区域に入っており、近づくこともできません。
そこにあるのに二度と行けない場所ができるなんてことは、そのころは思いもしませんでした。
赤い魚と青い魚
これは実際にあったことなのですが、死ぬはずのない人が海で死んでしまうのはこれじゃないかと思える体験をしたことがあります。
子どもたちと海水浴に行った時、スイミングスクールにも通ってだいぶ泳げるようになっていた長男と、普段はいかない人のいない岩場の方に行って、サカナを捜したりしていました。
子どもが興奮して手招きするので、近寄ってみたら、小指の先くらいの大きさの、鮮やかな赤と青の二匹のサカナが子どもの手にまつわるように泳いでいました。
子どもの手のあたりをクルクル回りながら泳ぎまわるそれは、私が手を添えればすぐにも獲れるように見えました。なのに、そっと手を寄せていくとするりとすり抜けて、逃げもせずにまた子供の手の周りをまわっています。
二人とも夢中になって何とか手の中に赤と青のサカナを取り込もうとしていたのですが、ふと身体が効かなくなっているのに気づきました。身体が冷え切って、腕を上げるのもしんどくなっています。
子どもの顔を見ると唇が青くなっていて、体を浮かせるのがやっとになっています。まだサカナは子供の手にまとわりついていますが、これはまずいと思い、子どもを岩の方に押しやりました。
子どもは岩に取り付いたのですが、そこから身体を上げることができないようです。後ろから何とか押し上げて、何とか上半身まで上がったので、私も上がろうとしましたが、もう体を持ち上げる力も残っていません。
しばらく岩につかまって休んで、体力が少し戻ったところで岩の上に這い上がりました、しばらく陽射しを浴びながら休んで温まって、ようやく体を起こすことができました。
「死ぬところだった?」
「いや、ほんと。危機一髪だった」
「あのサカナたち、逃げないんだもん」
「サカナじゃなかったのかもな」
「…そうかも」
こんな経験は初めてでした。もう少し欲を出していたら本当に死んでいたかもしれません。
ずい分と休んでから、奥さんと次男のいる砂浜の方に戻りました、そちらは人がいっぱいいて賑やかで、二人でいた静かな空間がうそのようでした。
夕暮れ時になると人さらいが出る
わたしは新潟に住んでいた時期があるのですが、中学、高校と進学校に行っていたので、新潟のいろいろなところからきている人がいました。
海に近い町から来ているクラスメートが、「夕暮れ時に一人で海の近くを歩いていると人さらいが出る」 と言っていました。
子どもを早く帰らせるための脅し話だと思って聞いていたのですが、それは都市伝説ではなく、実際に何人も行方不明になっていたんですね。
私の住んでいた魚沼でも、夜明け頃になると朝鮮語の放送が聞こえていました。
海の近くに住んでみたい
これから先の野望で、1年から2年くらいの期間の間、海に近いところに住んでみたいということがあります。
外から来て、すぐに帰る身では見られないものをいろいろと見てみたいのです。
海は短い滞在では見えない景色を見せてくれるでしょう。
住んでみたいのは、海のそばのほかにもあります。
岩手県の遠野、新潟の魚沼、北海道や沖縄、東京にも数ヶ月から数年くらい過ごしてみたいと思っています。
親の仕事の関係で、子どものころは定住地がなかったので、ノマドのようにさすらう方が私にとっては自然になってしまったのかもしれません。