今週のお題「激レア体験」
奥さんと話していたら、激レアと思える体験をいくつか思い出しました。
父の仕事の関係で、小学生くらいまで、3年ごとくらいで住む場所が変わっていました。風の又三郎を読んだ時、自分に近い感じがしたのを覚えています。
住んだ場所は、新潟、福島、岐阜などで、その中でも人より山に近いようなところが多く、そんな環境で見たいくつかのおもしろいものについてお話しします。
山の中の深い池
うちの親は山菜採りが大好きで、シーズンになると山に行って採ってきた山菜で食卓を賑わせていました。おかげで私は今も山菜の天ぷらや木の芽にうずら卵を合わせたもの、タラの芽などには目がありません。
ある程度大きくなってからは、一緒についていくことが多くなったのですが、こちらが想像している以上に過酷な採集活動でした。
山道をある程度行って、何かに反応した親がいきなり横の茂みに入ります。かろうじてついていくと、移動しながら山菜を採取し、明らかに道でないところを登り始めます。
いったいこの親の運動能力は何だと思いながらついていくと、生えている木を手掛かりにひょいひょいと滑落しそうな斜面を横移動していきます。このころの経験は私の身体能力に多少なりと影響を与えています。
そんな道ではない道をたどるうちに、開けた場所に出ました。どこにも道はなく、そこだけぽっかりと開いています。低めの草が生えているそこに、池がありました。
土手もなく、ぽっかりと開いたように見えるその池は、直径5メートルくらいでかなり深く、3メートルくらいの深さです。人の手で作った池ではありません。
水は澄んでいて濁りが全くありません。底までくっきりと見えていて、底にはショウブのような形ですが、ショウブより広い葉がたくさん覆っているのです。
生えているというより敷いてあるように池の中全体が覆われていました。周りに木がないので、池の中まで陽が射し込み、明るい水の中で不思議な葉が揺れています。
山の中にある池なら、普通は土が入っていたり枯葉が沈んでいたりするのですが、ここにはそんなものがまったくなく、綺麗すぎて異常に感じました。
水の生き物は好きなので、そういうものがいればすぐに気づくのですが、こんなに深くて広い池なのに、魚も、カエルやイモリも、水棲昆虫もいません。水溜まりにだって来るアメンボさえも見当たらないのです。
人の来る道もないここで、生き物の姿もないこの池は何なのでしょう。
私にはわかりませんでした。
私がこの池に見とれているうちに、両親はまた山の斜面に向かい、私も付いていきました。
その後、一人で何度かそこに行こうとしたことがあるのですが、二度と行くことはできませんでした。
山に入ると、この時の池のように、なぜと思うくらい整った場所にたどりつくことがあります。普通の意味での道はなく、人の手が入っていないのに整っている場所。
こういう場所に出会えるのは本当にまれなことですが、たまにあるのです。
この話が少し長くなってしまったので、ほかの話はまた後で書きます。