今週のお題「わたしの部屋」
自分の部屋というものを意識したのはいつごろからだったでしょうか。
小学生まではほとんど親と一緒に過ごしていました。寝る時の寝室は別になったこともあるのですが、家にいる時はずっと親と一緒に過ごしていたように思います。
そこで本を読んだり、工作したり、本を読んだり、食事をしたり、本を読んだり、たまにテレビを見たりしていました。
勉強部屋としての部屋
中学生になったころに、初めて自分の部屋というものをもらいました。主に勉強をするようになったためです。
確かに集中するためには個室でしたほうがよいのでしょうが、私は集中すると場所がどこでもいいタイプだったので、親の気配を感じていた方が安心できたのです。
個室とは言っても、親が普通にバンバン入ってくるし、弟も一緒なので自分の部屋という感じはありませんでした。
初めての自分の部屋
大学に入った時に、一人暮らしをすることになりました。
親元を離れて心細さはありましたが、初めての一人暮らしに対する高揚感もありました。
ここで初めて自分だけの部屋、ここに入るものを自分で決められる空間を持つことができたのです。その本当の意味がわかったのはずっと後のことですが、自分が自分ひとりでいる時間を知りました。
大学に行き、サークルに参加し、友人が増えて、部屋に人が来るようになりました。私は、自分の部屋を24時間、自分の思うように使い、訪ねてくるものをもてなし、時には帰ってもらうことをしました。
そこで私は自分が王であり、しもべである空間を体験し、自分自身をコントロールしないと破滅することを知ります。
社会に出てから一人暮らしをしても、この万能感を感じ、実感することはできません。社会に出ると、勤めなどで本当に自由な時間を得ることはできないからです。
大学時代なら本を読んで夜明かししても、朝まで飲んでくだらない話をしても。そのまま寝て続けて2夜目に突入しても、自分の責任だけでOKです。48時間、96時間、200時間でも自分が本当にやりたいことが可能な時間を持つことができます。実際は真面目に過ごしてもいいのです。そういう時間が持てるということを理解することが肝要なのです。
私にこれを知るチャンスを与えてくれた親には感謝しかありません。
私は人生における得難い経験のひとつを得たのです。
次の世代の子どもの部屋
自分が自分だけでいられる空間を知るのは、とても重要です。そして、できればそれはまだモラトリアムの時代に経験するとよいです。私がそうであったように。
そのため、子どもたちは家から通えない大学を勧めて、なんとかかんとか一人住みをしてもらうことになりました。二人とも2-3ヶ月でわかったようです。
一人で24時間、自由にできる時間を持ち、その怖さとすばらしさを 知っておくことは、その後の人生の中でどれほどプラスになるか。
ふたりのこれからが楽しみでありません。もちろん、山ほどの心配と取り合わせてのことですが。
モラトリアムの時に一人で暮らすことのおすすめ
モラトリアムな時間のうち、自分で生きる糧を得なくて済む時代に一人で24時間365日をコントロールする経験は、どこかに所属しなくてもできることを知ることにつながります。
できうれば、チャンスがあるのであれば、この経験をつかんでください。
本当に、ほんとうにすばらしい時間を過ごすことができるでしょう。
手を伸ばしさえすれば。